俺の話を聞け
5分だけでもいいから
0歳 そこそこの家庭に産まれる 生まれた時から夫婦仲は悪かったようだ
2歳 それなりにいろんな事が分かってくる 父親は怒鳴ったり皿を投げたりしている
5歳 男はカスだ、あの父親を見ろ、という教育が見事成就、次第に男である自分を嫌だと感じるように
7歳 小学校入学 早々に通学路が同じ子供から殴られるように 殴り返したりもするもののそんなんでは止まらないような奴だった 要するにいじめっこというよりもすごいバカ
11歳
下校時背後から突然殴られる あいつの仕業だった
なんとか帰宅するも止まらない頭痛、吐き気。病院では診断付かず
翌日起きた時には更に体はおかしくなっていた 頭や吐き気だけじゃない、全身、それも首が特に痛い、布団から起き上がる事ができない
学校行くなんてとても無理だと訴えるも、医者も理由がわからないものだから今日は休んでそれからちょっとずつ行こうなどと指示を出す
母親もそれに従った
12歳
いろんな病院をたらい回しにされながらも大して良くもならない身体、当然まだ診断は付かず
学校だけならず何故か冬季スキー講習とかにも行ってた記憶がある。バカなんだろうか、ゴーサイン出した奴は誰だ、ボケがよ
13歳
親父の会社が潰れ、親父が家で一日中寝るようになる
中学入学。学校行くなんてとても無理だと訴えるもちょっとずつなどと言われ…
結局廊下ぶつかりなどで症状を悪くする
14歳
ようやくこの頃病名が付く、どうやら国内では詳しい医者が数人しかいない病気らしい
手術も確かこの頃は国内2カ所か3カ所しかやってなかった程度。保険適用もなく高額、また、良くなるかどうかは人や症状によるとのこと
秋頃に手術を行った 少しだけ良くなった
その後も合計四度の手術を経験するも、良くなったと言えたのはこの時だけだった
15歳 親が離婚した 家族は母親と、欠陥品の自分と、軽度で将来働く意志のない弟が残った
16歳 高校行くなんてとても無理だと訴えた所一年開けて単位制の高校に入るのはどうかという話になる
17歳 高校入学 それなりには楽しかったが人と遊ぶような体力はなかった
21歳
一年留年し卒業 今度こそ、今度こそ大学行くなんて無理だと訴えるも、じゃあ働くのか?無理だろ?などと各方面から脅される どっちも無理だつってんの
結果大学に入学
弁護士から「病状が確定するまでは始めない方がいい」と言われていた裁判を始動する
請求額は俺の人生の価値、一億以上だった
これに勝てば今まで我慢していたいらんな事をやろうと思った
体を動かす事はできなくても少しでも心を晴らしたかったし、同時に勝てば復讐心も満たせると思った
22歳
大学くるしい
教員からの理解が得られない
裁判すすまない
人生くるしい
彼女でもない友達がメンヘラ化し自殺未遂を起こす
23歳
大学やめたい
大学やめた
裁判すすまない
人生くるしい
24歳
裁判負けた
25歳 なんもない
26歳 なにも
27歳
歳
2022年 友達が付き合いたいって言うから乗ったらメンヘラ化し3か月で分かれる
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